本当は怖い!?ポンバル侯爵広場(Marquês de Pombal)を深堀!

MarquêsdePombal リスボン

ポンバル侯爵広場って?

ポンバル侯爵広場(Marquês de Pombal)は、この立派な広場を囲むようにして回るランドアバウト。
ランドアバウトは日本ではあまり馴染みがないのでピンとこない人も多いかもしれませんが、上から見るとこのような感じになります。

ポンバル侯爵広場では、1755年から1777年まで総理大臣を務めたポンバル侯爵と権力を象徴するライオンの立派な像を見ることができます。
建設は1917年から1934年にかけて建てられました。

ポンバル侯爵ってどんなひと?

観光にも人気のポンバル侯爵広場ですが、ポンバル侯爵とはどのような人物なのかを知らないと興味もわきませんよね。ポンバル侯爵がポルトガルの歴史にとってどのような人物であったのか、掘り下げていきたいと思います。

向かって左から見たポンバル侯爵像

ポンバル侯爵というのはあだ名のようなもので、実際の名前はセバスティアン・ジョゼ・デ・カルヴァーリョ・イ・メロと言います。
とある小貴族の間に生まれたポンバル侯爵。コインブラ大学を出たあと、格上の家柄の女性と結婚をしたものの女性側の実家から猛反対をくらい、ポンバルの近くにある領地に引きこもりました。

1738年には、ロンドン駐在のポルトガル大使に大抜擢!ロンドンに移り住むこととなりますが、1745年はウィーンのポルトガル大使へと変わります。

当時のポルトガル王妃はかの有名なオーストリアのハプスブルク家出身であるマリア・アナ。彼女はポンバル侯爵のことを気にかけ、初めの妻が亡くなった後に別の女性と結婚させるなど、何かと面倒を見ていたようですが、王であったジョアン5世は彼のことを嫌いウィーン駐在ポルトガル大使を解任させてポルトガルに呼び戻してしまったそうです。

その後すぐに王様は亡くなり、新しく王になったジョゼ1世はポンバル侯爵のことを大変気に入り、信頼していき国政をどんどん任せるようになっていったのだとか。新王ジョゼ1世は政治に関心がなく、ポンバル侯爵にすべてを任せて自分は娯楽に没頭するような王様だったそう。

見事なタイル

1755年、リスボン大地震が発生。
リスボンは壊滅的な被害に遭い、ポンバル侯爵も間一髪で生き延びることができ、ポンバル侯爵はリスボン再建に大活躍しました。

ポンバル侯爵大好きな王様、ジョゼ一世は、この大成功に気を良くし、さらにポンバル侯爵に仕事を託していくようになります。次第に貴族の中で不満に思うものが続出し、ジョゼ一世暗殺未遂事件まで起こる程となってしまいました。ポンバル侯爵はこの貴族たちを制圧しようと独裁的手段を取っていきます。

1000人以上を逮捕したり、拷問にかけたりし、中には手足切断されたうえ、火刑に処されたり、車裂きの刑にに処されたりした貴族もいるとか((((;゚Д゚))))

車裂きの刑

まぁ、なんやかんやありましたがリスボン復興に大きく活躍したことは事実であり、ポンバル侯爵広場はリスボン大地震復興の象徴として建てられることとなったのです。
ポンバル侯爵の横には権力を象徴するライオンの像が立っている理由が良く分かったような気がします・・・ゾッ

ポンバル侯爵広場

ポンバル侯爵広場へは地下鉄でのアクセスがオススメ。

青線or黄色線でMarquês de Pombal駅を出たら目の前です。

近くにはエドゥアルド7世公園があるので一緒に観光してみてはいかがでしょうか。